返却炉

ギャンブル依存症と精神疾患からのリカバリーを希望して。12&12の自助グループに参加しています。

攻略法を手にした依存症者

大学2年生だった。当時「パチンコやパチスロで稼いで生活していこう」と本気で考えていた。「パチンコで生計を立てる」その考えに支配されていた。対人恐怖症で、醜形恐怖症で、まっとうに働くことを回避したいと願っていた自分にとって、パチプロ生活は夢の世界と現実世界のいいとこ取りができる、究極の選択肢だった。

 

だがしかし。冷静な立ち回りが出来ない。熱くなってしまう。手を付けた奨学金がどんどん減っていく。僕は親の会社に在籍していることにして、消費者金融に申し込んだ。審査が通ってしまう。あっという間にカードの枠を使い切り、借金は20万円になる。

 

働いて返す。大学なんてどうでもいいと、周囲の反対も聞かず辞めてしまった。住み込みの仕事を決めて、4ヶ月ほどで借金を完済した。もうギャンブルはしないと誓った。

 

そんなことできなかった。いつのまにかまたパチンコ屋に入り浸っていた。期待値稼働だ。それさえできれば勝てるのだ。ゾーン狙いに、天井狙い。冷静にBETしていれば結果は出るはずだ。自分にはそれができる。そんな妄想に支配されていた。

 

そんなとき。ネット上でスロット某機種の攻略法が出回る。僕は割と早い段階でその情報を入手した。当然解析など無かったが、試してみる価値はあると判断した。僕は早速それを実践し、稼いでやろうと店を回っていた。

 

その期間はある程度、冷静に立ち回っていたのだろう。攻略法が廃るまで、70万ほど稼いだ。だがその分仕事が疎かになり、勤労意欲は無くなり、入社して半年ほどで会社を辞めてしまった。

 

「このままパチプロになろう」本気だった。アパートを借り、バイクを買い、店を回った。その一年後・・・・・・

 

借金で首が回らなくなっている自分がいた。カードを次々に契約し、借金は総額120万ほどになっていた。それでも僕は、自分が依存症だとは認めたがらなかった。

 

攻略法はあった。一時的なものであったにせよ。でも僕には扱いきれない代物だった。僕はギャンブル依存症だった。

さびしい

今日は結局一日寝逃げして、食べて、寝逃げして。ミーティングに行かなかった。生活保護は受給できるのか、それまで所持金で足りるのか(2万ほどしか残っていない)、そういう不安もあり、交通費をかけたくないという心理があったのかもしれない。

さびしい。埋まらない穴。嗜癖で埋めてきた穴。それでも埋まることのない穴。

今日は行動のない一日だった。信仰が錆びれていくような感覚。即時的に、痛みに対処したくなる。痛み→嗜癖。明日は予定がない。不安だ。

現状と焦り

ギャンブルで生活費を使い込み、雇用保険の基本手当(失業保険)を受給するまでのお金がない。それに、主治医から就労許可が下りない。

生活保護受給に向けて支援者と共に動いている。それに身をゆだねればいい。なのに焦りが消えない。

「自分は働けるのでは?」

「再就職に向けて何か勉強したほうが良いのでは」

 

焦燥が収まらない。そのような感情の揺れに対して、無力としか言いようがない。

 

今は自助グループのミーティングに参加すること、そこで正直に分かち合うこと。それを目標にしたい。それをもって行動としたい。

夕方からはじまるミーティングに、出よう。